奴国

  奴国(なのくに)  

 この奴国は「漢委奴国王」の金印で有名な国です。

「漢委奴国王」の金印は、西暦57年に後漢より賜ったものであり、この時代(240年)よりも随分と昔の話になります。

 つまり、奴国は二百年以上続いている古い国ということになります。

 この奴国の本来の字は「那国(なのくに)」であると思われます。

 記紀の記述を解読すると、この国は古代の豪族波多氏が支配する国であったことが分かりました。

 この時代の那国は倭国内でとても力を持っていたようで、邪馬台国はこの那国の導きによって魏に朝貢し、冊封国となったようです。

 この時代の那国と邪馬台国の歴史は、昔話の浦島太郎でも語られています。

 村の少年たち(狗奴国ら周辺諸国)にイジメられていた亀(波多氏)を助けた浦島太郎(邪馬台国)は、その導きによって海の中に入り(海を渡って)、竜宮城(倭国)へ行きました。

 

 どうやら、海の中の竜宮城とは、日本のことだったようです。

 

 この時代の那国と邪馬台国の関係を分かりやすく説明すると、那国は中国から伝来した製鉄や水稲農耕の技術をもって倭国の基礎を作り、そこにやって来た邪馬台国が倭国の盟主となって、その統治に当たったというわけです。

​ そしてこの邪馬台国こそが、現在に続く天皇一族が作った国なのです。

  波多氏  

 波多氏は日本の古代史を語る上では欠かせない、倭国の有力豪族の一つです。

 この波多氏から枝分かれする形で蘇我氏が生まれ、蘇我氏は蘇我馬子の時代に倭国の頂点に君臨します。

 それが西暦600年ぐらいなので、波多氏の一族はかなり長い間にわたって、倭国の国作りに貢献した一族ということになります。だから彼らは「国津神」と呼ばれているわけです。(天皇一族が天津神です)

​ この波多氏は大昔に中国から倭国へ渡ってきた氏族であると思われますが、彼らの名前の由来が「墾田(はた)」であることから考えると、彼らは我が国に集団的な水稲農耕を伝えた一族であると思われます。(稲作自体はもっと以前からあるようですが、集団農耕として田が耕されるようになったのは、この波多氏の統治が始まった頃からだと思われます)

 波多氏とは、倭国に水稲農耕や鍛冶製鉄などの中国伝来の文化をもたらした氏族だったようです。(たたら製鉄法も彼らが編み出した製鉄法だと思われます)

  国号の由来  

「漢委奴国王」の金印にある「委(い)」とは、我々のご先祖が顔に入れた入れ墨のことを「如墨委面(じょぼくいめん)」と形容したことから名付けられた通称であったようです。(倭国は分かりません。「委」に「にんべん」を付けただけじゃないかと思うのですが)

 このように、「那国」も中国人から名付けられた国号であったようです。

「那」とは中国語で「あれ」とか「あの」とかいう指示語であり、那国とは、「あの国」というような意味合いで呼ばれた通称であったのでしょう。

 おそらく、中国の漢王朝にそのように呼ばれるようになり、それがやがて定着してしまったものと思われます。

 この「那」の字は「支那」や「任那」という地名にも使われていますが、この「那」という言葉の意味は、那国そのものという意味よりも、那国が支配してた倭国全体を指す言葉として使われているような気がします。

 

 倭国と呼ばれる前の「委(い)」の国号に関する解説を知りたい方は、僕の本「記紀の暗号 第一章 神武東征」↓↓↓を読んでください。ここで詳しく解説しています。

記紀の暗号 第1章 神武東征

本書は、「神武東征」を記紀の暗号解読によって解き明かしていきます。
そうすると見えてきたのは、初代神武天皇から第十一代垂仁天皇までの歴史をまとめた倭国平定の物語でした。