邪馬台国への道のり

  隠された古都へ  

 飛鳥時代、天武天皇は日本最古の歴史書を作るため、百済から渡ってきた官僚らに命じて、日本書紀の編纂(へんさん)を命じました。

 日本書紀は阿毎族の歴史書である古事記(国記と天皇記の再編史料)を元にして、さらに滅亡した百済の歴史書、百済三書を組み入れる形で編纂されました。

 その時のもう一つの至上命令として、「古代地名の改名」がありました。

 その理由は、天武天皇自身の出自と天皇一族の歴史を隠すためでした。

 その古代の地名の改名のために、後世の人は末盧国と松浦、伊都国と糸島と誤認し、それ以降の邪馬台国への道のりが分からなくなってしまったのです。(松浦と糸島は、古代の地名を隠すために、飛鳥時代以降に改名された地名です)

 

 さらに不幸なことに、江戸時代に「漢委奴国王」の印綬が志賀島で見つかったことで、博多湾周辺地が奴国であるとの誤った認識が強化されてしまいました。

 人は思い込みがあると、中々その殻を破って真実を見つめるということができなくなります。昔の史家たちは、古代人を信じるあまりにその殻を破ることができず、出口の無い迷宮に迷い込んでしまったのです。

 そういった経緯があったおかげで、我々日本人の心の古都である邪馬台国の場所が分からなくなってしまったのです。

 邪馬台国は古代の天皇一族が支配した国です。それは記紀(古事記と日本書紀)を読み解けば分かります。

 阿毎古代史研究会は、「魏志 倭人伝」や記紀の謎を解き明かし、天武天皇によって隠された古都の場所を見つけ出しました。

 ここでは、「魏志 倭人伝」の記述に従って、いにしえの九州の国々を紹介していきます。そして、その当時の我々のご先祖の暮らしや文化なども合わせて紹介していきます。

 それでは、1780年(!)の時をさかのぼり、邪馬台国への旅を始めましょう。

  魏王朝の冊封国となる  

「魏志 倭人伝」にある邪馬台国へ向かうお話は、魏の使節団が倭国の女王卑弥呼に会うために、はるばる海を越えてやって来るというお話です。

 倭国は中国の魏王朝より冊封国として認められ、その証として「親魏倭王」の印綬を下賜されました。魏の使節団はその印綬や皇帝からの賜物(高価な絹や銅鏡など)を持ってくるために、朝鮮半島の帯方郡より海を渡ってやって来たのです。

​ この時代の中国は「魏・呉・」の三国時代であり、この三国のうちの一国である魏は、後漢より禅譲を受けた正統王朝でした。

 この時代の中国は中国史上最悪の殺りくの時代であり、この三国時代(八十年あまり)に、総人口が最盛期の三割にまで減少したといいます。この人口減少の理由は戦争と、それに伴う飢によるものだと思われます。

 そんな戦乱の世にあって、魏は政治的に安定しない朝鮮半島近海の備え(軍備)とすべく、倭国を冊封国(属国のようなもの)として認定します。

 このとき、魏の皇帝より下賜された印綬は金印紫綬(最高の待遇)であったことからも、魏の倭国に対する期待の高さがうかがえます。

 ただし、この時の魏は倭国のことをあまり理解しておらず、魏の使節団が来てからその実状が分かったようです。「魏志 倭人伝」にある倭国への来訪は、印綬の授与だけでなく、倭国の戦力を測る目的もあったようです。

 西暦240年、魏の使節団は、女王卑弥呼に皇帝よりの詔書と印綬、そして賜物を渡すために、朝鮮半島の帯方郡(漢江近く)より旅立ちます。

 この時代の海を越える旅は命がけであり、帯方郡から邪馬台国までは、片道で四ヶ月から半年ぐらいの長旅であったものと思われます。(現代だと数時間で着きますね)

  狗邪国(くやのくに)  

 魏使(魏の使節団)は朝鮮半島の中西部、漢江周辺にあったと思われる郡治から、船に乗って倭国へと向かいます。

 この時代の倭国には巨大な船を建造する技術が無いので、魏使は帯方郡所有の帆船に乗ってやって来たものと思われます。

 魏使はまず、朝鮮半島の海岸に沿う形で南下し、まずは朝鮮半島南東部にある狗邪国(くやのくに)を目指します。

 この狗邪国は倭国の「北端」とされ、ここは現在の釜山(ぷさん)付近にあったものと思われます。

 魏使はこの国から対馬海峡を渡り、倭国を目指したのです。

 釜山の地名にある「釜」という字は、「窯(かま)」という鍛冶製鉄を意味する言葉を隠し持ちます。これは、阿毎族の上祖である「波多氏」を暗示する言葉であり、浦島太郎の昔話で「亀」が登場するのも、これに由来します。

 さらに、「山」とは「支配地」を意味し、これを合わせて考えると、この狗邪国とは、波多氏が関係する土地であったようです。

 この地を中心にして、後に「任那(みまな)」と呼ばれる朝鮮半島側の倭国の領地が広がっていったものと思われます。

  任那(みまな)とは  

 任那とは、「那国(奴国のこと)より任された国」と書きます。

 そして、その音は「みまな」です。

​ この「みまな」とは「御孫那(みまな)」と書き、この「孫」という字が天孫族、つまり天皇一族を指す言葉なのです。

 そう考えると任那とは、天皇一族が所有する、朝鮮半島側の倭国領地だったようです。